brilliant Yellowtails

コーギーの鰤との生活

信頼

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結局信頼関係なんですよね。
人間と人間でも同じ。
家族であっても友人であっても会社の人間関係であっても同じ。

そして、なにをもって相手を信頼するかといったら、ことばじゃなくて、何をしているかなんですよね。そのひとがなにを云ってるかじゃない。なにをやっているか。そして、犬はそれを、人間よりもよく観ているのだとおもいます。

わたしはぶりにおびえているのかもしれません。わたしという人間の、底の浅さ、ちいささを、きっとすべて見透かされてしまうから。人間であれば、ことばで言いくるめることができる。わたしはずっと、まわりを騙し続けて生きてきたから。わたしのような人間が毎日ごはんを食えて屋根のある場所でねむれるのは、ひとえに言葉のおかげなのだから。

それでも、わたしはぶりに出会いました。そして、ぶりの面倒を見るという役目を担わせてもらうことになりました。おびえてはいられないのです。

わたしが、強く、善く、正しくあらなければ、犬はわたしのいうことなんか聞かない。きっと、そういうことなのでしょう。

ただ、それだけのことなのでしょう。

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(追記)

って書いたけど、やっぱそれだけじゃないとおもう。
ちゃんと全部やってみてもいないのに、云うことを聞かないのは自分の人間性の低さだなんて甘えてるよね。落ち込みたいだけなんだ、きっと。でも落ち込むのを犬のせいにされるのはたまらないよね。犬にしたらいい迷惑。やれるだけのこと全部やってからほざけ! 言い訳すんな!!


などという、いろんな感情が自分の中でぐるぐる交じり合う2015年の春。皆さまいかがおすごしですか。わたしは情緒不安定です。