brilliant Yellowtails

コーギーの鰤との生活

犬に情緒は要らない……だと?

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噛んで遊ぶおもちゃはドライフードの袋で一晩寝かせるとワクワク感も倍増です


先日、読んだ本の中に、四ヶ月半を過ぎると子犬ということで許される時期が終わるらしいということについて書きましたが、写真の本ではありませんでした。失礼いたしました……。

こちらでした。おもしろいです。ためになります。

福ぶちょうさんにコメントで「疲れてますね?」と指摘されて、云われてみれば疲れているかも、と感じなくもないんですが、そういえば鰤が来てからずっと眠りが浅い気がします。まあ赤子が産まれたときもそうでしたから、母親モードになるんでしょうな。で、鳴くとすぐに目覚める。赤子のときはおむつを替えて乳をくわえさせればそれでOKでしたが、子犬はそうはいきません。非常に楽ちんに赤子と付き合ってきた身としては、「赤子より子犬のほうが大変」だとおもいます。あくまでもわたし個人の意見ですが(……などとわざわざ書かなくても、このブログはそもそも全部わたし個人の意見ですが)。

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わたしは母性愛にあふれたタイプの人間ではなく、どちらかというと真逆(仕事大好き、自由大好き、孤独大好き、メンズ遊びは派手でだらしなく、責任感は皆無、こども全般とくに可愛いとおもいません)ですが、母親になることへの不安や戸惑いを感じたことはほとんどなく、育児に関する本を読んで勉強したりもまったくしませんでした。人間として出来のいいほうでない自覚はありますが、女としてもともと備わっているらしい感性や能力については比較的ポジティブに捉えてきたほうだとおもいます。

だからなるべく自然なお産をしようと思い、分娩台に乗ったり、会陰を切ったり、産まれてすぐに離れ離れにさせられたりといったことのないよう、できるだけの努力をしました。具体的にはひたすら歩くこと。真夏でも真冬でも、10kmや15kmは当たり前に毎日歩きました。妊婦が受けなくてはいけない講習会で、現代人として文明の利器に甘えて生きているくせにお産だけは自然にやりたいなんて考え方はムシがいい、と助産師さんに云われ、ハッとしたものです。自然なお産がしたいなら、自分が本来持っているはずのエネルギーを総動員させる必要があり、そのためには、一にも二にも体力でした。

ちなみに、雑巾がけなどの掃除や、洗濯板でごしごし洗う洗濯など、電気を使わない家事全般も推奨されましたが、ひとつもやりませんでした! なぜなら嫌いだから! 家事は夫(当時)が全部やっていて、わたしはただひたすら毎日歩き続けました。歩くのは好きなんだよ……。好きなことしかしなかったよ……。

そんなわけで人間のこどもとの暮らしについては、自分のもともと持っているらしい力を信じてぶつかれば概ねなんとかなってきたのですが(妻としてはなんともならなかったのでバツ2になりましたが……)、子犬については全然話が別なわけです。そりゃそうなんだけど。うん。

そもそもわたしは生きていく上で、情緒というものを重んじ、強く尊重する人間です。情緒的であるということは他の何よりも大事であるといっても過言ではないほどです。情緒のないところや情緒のない人にはできるだけ近づきませんし、こどもとの接し方についても情緒を重んじるようにしてきました(たとえば、情緒がないと感じるもの、紙おむつやベビーカー、ベビーベッドなどを使わないとか)。自分の感性を鈍らせることがこわかったのです。

ところが、いま読んでいる本にこんな記述が……

わたしたちは他者を救おうとしますが、それは情緒的なエネルギーから来ています。他者に同情したり、愛しく思ったりする気質は美しく、人間の持つすばらしい部分です。しかし、他の動物にとって情緒的なエネルギーは弱点と受け取られます。愛は柔らかなエネルギーなので、少なくとも群れの存続という点では、愛は弱さだと言えます。動物は柔らかく、弱いエネルギーには従おうとしません。愛らしいリーダーや過度に興奮したエネルギーにも従おうとしません。
 人間は群れ志向の種ですが、不安定なリーダーに従う地球上で唯一の種でもあります。馬であれ、犬であれ、猫であれ、羊であれ、動物は情緒的に安定したリーダーにしか従わないものです。群れを率いるリーダーが情緒的にバランスがとれていれば、そのリーダーは終始一貫して穏やかで毅然としたエネルギーを発します。つまりわたしたちが動物に対し、興奮したり、慈しんだり、情緒的な態度しか見せないと、動物は人間を自分に従う者と捉え、リーダーとして見なさないということなのです。
 犬にはふたつの立場しかありません。率いるか、従うか。支配か、服従か。犬の世界に中間はありません。
 (中略)
 犬は、それが犬だけの群れであれ、一匹の犬とひとりの人間でできた「群れ」であれ、群れのなかで誰が支配的で誰が服従的であるか考えるのがいいことなのか悪いことなのかなど気にもかけません。犬はひとたび飼い主が真のリーダーたる責任を引き受けるとほっとします。飼い主がリーダーシップを取ろうとしないなら、犬はその空白を埋めようと試みるでしょう。

(シーザー・ミラン『あなたの犬は幸せですか』講談社(2006)

 

情緒、全否定じゃねえか。

いや、わかるよ。飼い主がちゃんとリーダーになることは犬にとっても安心することだろうさ。しかし、ってことは、わたしがいままで信じて培ってきた、情緒的で慈愛に溢れ、他者に共感し、ときに自己犠牲もなんのその! ってなやり方が、まるでダメ、全然いらない、容赦なく無駄、一刻も捨ててくれ糞の役にも立たないから、ってことですよね。いや、わかるんですが……ですが……このやり方を目指してしか、他者と向き合ってきてないし……


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そのやり方、俺には効かない



しかし、そうかとおもうと、ですよ?
鰤を一ヶ月くらいどこかに預けて訓練を、と考えていた最中に見つけたホームページにて、とても考え方の好きな学者さん曰く、

犬が攻撃的な行動をする原因についてはよく次のように説明される。

犬が攻撃的なのは、犬が飼い主よりも自分の方が順位が上だと思っているからである。それは、飼い主が犬の言うなりになっているからだ。また、空間的位置関係も順位の確定には重要なので、自分よりも高い場所に上がらせたりせずに、自分がしっかりとリーダーの位置におさまらなければならない、と

一見、犬の考え方に照準を合わせた認知的アプローチのように見えるが、残念ながら「犬が飼い主よりも自分の方が順位が上だと思っている」となぜ言えるのだろうか

その根拠として、主従関係は犬の特性そのものであると証明されていることをあげていたりするのだが、残念ながら主従関係=「完全タテ型の上下関係」なるものが犬の特性であるという説は、証明されていないばかりでなく、21世紀の犬に関する諸研究においては否定されつつあるのである。

 攻撃性の誤解:ドッグウォーカー博士のスローライフより

 
覚えたてなのに、いきなり否定されつつあっちゃったよ……。

もうッ!! どうしたらいいのよッ!!

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まーごきげんちゃん(情緒的)


まあ結局「諸説ありますので、好みで選んでください」ということかもしれません(ほんとかよ)……。


すてきなかいぬし(略してすてかい)への道は遠い。


この話題については、あと数日つづきます! おたのしみに!(たのしくない)